#1 わが家の正月
「シャッ、シャッ」。冷たい水で手際良くもち米を洗う音で目を覚ます元旦。
初日の出を拝む前から家族みんなで準備に取りかかる。父がきねと臼を外に出してきれいに掃除をする。母がもち米を蒸す。妻はお菓子などの空箱にクッキングシートを切り貼りして餅箱を作る。子どもたちは元日の澄んだいてつく外気に負けないように、スキーウエアを着て応援の準備をする。私は大みそかの深酒で硬くなった体を少しずつほぐすために念入りにストレッチをする。そうしているうちに今年一番の朝日が顔を出し、餅つきが始まる。
餅つきから始まる我が家の正月。つき手は私、返し手は父、たまに妻。初回のつきたてを朝食にいただく。我が家はセリなどのお野菜と鶏肉が入ったしょうゆベースのお雑煮。その年のもち米の出来具合、米の水分量に応じた浸水、蒸し時間、そしてつき加減。「おいしー」と言いながら、家族で今年のやり方を暗中模索して2回目の蒸し作業に入る。
赤ちゃんの肌のようにふわふわなのに、ノビとコシがありツヤツヤな仕上がりを目指してひたすらにつく。しかし、つき過ぎると打たれ過ぎたくぎのように再起不能となる。良いあんばいとは難しい。大体毎年、大みそかに3回、元旦に3回くらい餅つきをする。お世話になっているゲストも珍しがって駆けつけてくれ、「ペッタン、ペッタン」鳴り響き、ご近所さんも「ガンバレー」と応援し、通りかかる人は笑顔で手を振ってくれる。お振る舞いはすぐに売り切れる。やっぱりつきたての餅はうまい。話も弾む。
私が子どもの頃も毎年餅つきをしていた。父の実家が福島市飯坂町にあり、年末年始はそこで過ごすのが慣例だった。その頃は祖父がつき手をやり、返し手は父か伯母。私はそれを横目に、いとこと雪を投げていた。きねと臼は祖父の手作り、野菜や果物何でも自分で作るこだわりの人ではあったが、あの臼の丸みをどうやってカンナがけしたのかいまだに謎だ。
祖父は2017(平成29)年1月に他界した。私はスイスに留学中、ちょうど年末年始で帰国し、「またねー」とスイスへ飛び立ってすぐの訃報だった。その時、大学院最後の試験準備と修士論文の執筆で、人生の中でも一番の忙しさだった。「ついこの前最後に会えたから…」と、自分に言い聞かせ、スイスのルツェルンという町のカペル橋近くの大きなイエズス会教会で手を合わせ、「遠くからごめんね」と冥福を祈った。
帰国後、結婚を機に福島県に帰り、郡山市で音楽教室を開業した。子どもにも恵まれ、家族で餅つきができるようになった。私にとって餅つきは、ご縁をつなぐ大切な行事になっていた。これも祖父がのこしてくれた愛なのだと今は思う。あまり多くを語らない祖父だった。もっと目を見てちゃんと話をすれば良かったと後悔もあるが、餅をつく度に昔取れなかったコミュニケーションが取れている様な気がしてうれしい。
一粒一粒のもち米が打たれて返され、やがて大きな一つのお餅になる。ふわふわで優しく、ツヤがあり、ノビが良く、コシもある…そんなご縁をこれからも紡いでいきたい。
芳賀大峰
