#2 13番線ホーム

 「ゴォー」と激しい音を立てて走り去る、はやぶさ。冷たい風がブワッと体に当たる。小刻みに震えるかじかんだ手でなんとかキャップを開け、温かいお茶を口に含む。県内の冬の空気は澄んでいて美しいが、風が少しでも吹けば痛みを感じるくらいにキレがある。阿武隈山系の峰々から太陽が顔を出す。そして郡山駅の新幹線13番線ホームの声に耳を傾ける。

 〈いってらっしゃい。気をつけてね〉

 私は中学3年の時、音楽の道を志し、隔週で上京してレッスンに通い始めた。その時はまだ、はやぶさのその風を受けることはなかったし、東から昇る太陽の存在を気にする余裕もなかった。「楽器は持ってる」と背中をポンッと確認し、楽譜や鉛筆はあるか、謝礼は封筒に入れたか…、13番線ホームにポツンと立って念を押す。

 〈大丈夫かな。気をつけていってらっしゃい〉

 やりたいことに猪突猛進だった私にはまだ聞こえていなかったが、親心のような13番線の声は確実に私を守ってサポートしてくれた
 そのおかげで東京芸術大の付属高に合格した。東京での生活が始まると、お盆とお正月に帰省した。家族はとんぼ返りの私に優しく、体の心配をし、またそっと送り出してくれる。「負けられない、よし!」と、自分を鼓舞し、そしてまた13番線ホームに立つ。

 〈さあ行ってこい! 次はいつ帰るんだ。いつでも待ってるぞ〉

 その後、もがき苦しんだ浪人生活と、海外に視野を向けたグローバルな外語学校を経て、音楽大に入学するため、10年以上も東京に住むことになった。波乱万丈の学生時代だったが、今となれば全ての経験が、今を豊かに彩ってくれる最高のエッセンスになっている。それも支えてくれる家族があってこそ、周りの環境とご縁、全てに感謝したい。そしてどんな時でも13番線ホームは変わらずに背中を押してくれた。

 〈今回の帰省はあっという間だったね。休めたかい。自分のペースで頑張るんだよ〉

 そしてスイスに留学する。今度は新幹線でサクッと帰ることができなくなったが、年1回の帰国を楽しみにしてくれた。

 〈どんどん遠くに行ってしまうね。次はいつ会えるのかな。無理せず頑張ってね〉

 13番線との会話も板に付いてきた。そしてまたスイスへと向かう
 留学を終えて、これから働く拠点を決めるのに迷いはなかった。まず、自分にとってそして家族にとって何が一番大切か、そしてどこで生活すればそれが大切にできるのか…。
 お金のためだけに働き生きていくのではなく、家庭を幸せに運営し、子どもを育て一緒に成長し、社会の役に立つために自分にできることを一生懸命にやる。それが地元福島のためになれば、私にとってこんな幸せなことはないと確信した。
 今、13番線に立つと走馬灯のようによみがえってくる。

 〈今までよく頑張ってきたね。これからも応援してるよ〉

 この20年で郡山駅前の風景は大きく変わったが、私の背中を押してくれる懐の深さと心強さは何も変わらない。

芳賀大峰